付いてこなくていいよ。
- tmclovemusic
- 2021年10月22日
- 読了時間: 4分
付いてこなくてもいいよ。
変な勧誘じゃないんだから大丈夫だって。オーディション受けてくるだけだから。
そう言うんじゃなくて、私も興味があるだけだから。
17歳の頃、とある雑誌に載っていたオーディションの記事に釣られて、音楽事務所のオーディションを受ける事にした私は、母親を説得してチャレンジすることを許されていた。
父親は自身の両親の面倒を見るために田舎へ帰っていたので、既にこのころは、私と母の二人暮らしだった。
小さいころから音楽に興味があった私は、幼稚園の頃に母が寄付した小さな和太鼓をいつも叩いていて、青年になるに連れてドラムを叩くようになり、いつか業界で仕事がしたいと考えるようになっていた。そんな時に見付けたオーディション情報に飛びつかない訳がない。
オーディションはドラミングと歌唱で受ける事にして、入念な事前準備も出来ないまま、本番当日になった。
電車を乗り継ぎオーディション会場はマンションの一室。
入っていくと窓拭きをしているおじさんが御出迎え。応接室に通されると副社長がやって来た。これまでも舞台のオーディションは受けた経験があったのだけれど、予想していた物とは全く違って、副社長との面接が始まった。暫くすると、窓拭きをしていたおじさんが入って来て、「玄関にお連れさんが居ますよ」と。。。
玄関の窓越しに外を見てみると母が室内の様子を伺っていた。
恥ずかしくなった私は玄関を開けて、「付いてこなくてもいいよ。大丈夫だから。」と伝えて帰らせた。
変な勧誘と思って心配で付いてきてしまったのだろうと副社長に謝り、オーディションの続きをしてもらうようにお願いしたら、「なら早速スタジオに行ってもらえるかな?」と言われ、世田谷にあるスタジオに向かう事になった。
表に出るとエントランスに母が居たので、私は少し怒り口調で再び帰るように言ってしまったのだけれど、母が心配する気持ちも分かるので、取り敢えずスタジオのあるところまで一緒に行って、待つなり帰るなりは、母に委ねる事にした。
スタジオに着くとドラマー兼プロデューサーが居て、対面でドラミングレッスンを受ける事になった。そして歌唱も聴いてもらった。「ドラムより歌の方が良いんじゃない?」慰めのような言葉に私は落ちたと思った。
スタジオロビーで待っていると、ドラマー兼プロデューサーが世間話を始めた。
結構長い時間1時間以上は世間話をしていたと思う。オーディションの話は一切ないまま、話しの切れ間にそろそろ帰ろうと思い席を立った私に、「来週の水曜日空いてる?結果はその時に伝えるからまた来てよ」といわれたので、言われるがまま、水曜日に伺う事にした。
スタジオから出ると、なんと母が立っていた。
いつ終わるとも分からない私を待ってくれていたのだった。
オーディションでの話を母に伝え、落ちた事を確信していた私は、うなだれていた。
「もう付いてこなくてもいいよ。変な勧誘じゃないんだから大丈夫だって。オーディション受けてくるだけだから」と私が母に言うと「そう言うんじゃなくて、私も興味があるだけだから」と。
慰めにもならない言葉だったけれど、心配してくれている母の気持ちが伝わって来たので、私は水曜日のスタジオ訪問を断ろうとその場で副社長の元へ電話をかけた。
「すいません。先ほどはありがとうございました。」私が副社長にこう伝えると、断りの話を持ち出す前に、「あら早速来週から仕事決まったみたいね。スタジオで会った彼に着いて現場を良く見て勉強してきてね!もちろんアーティストとしての腕も上げてもらわないと行けないからね」と副社長から合格の話を聞いた私は、断る事も出来ずそのまま候補生として入所することになった。
合格の話を母にすると、母は焼肉を食べに行こうと言い出した。二人で焼肉を食べに行った事は今でも忘れられない光景なのですが、煙のせいか、喜ぶ私を見て母はうっすら涙を浮かべていました。
オーディションで出会ったドラマー兼プロデューサーは後に私の師となり、別の会社ではあるものの、アーティスト契約を結ぶまでに私を成長させてくれた人でした。
その後も候補生中は色んなオーディションの話を事務所から頂き受けていましたが、母が付いてくる事はありませんでした。
一歩間違えれば異世界への勧誘に乗ってしまう可能性もある中で、母の心配が良い方向に事を進めてくれたのかもしれないと思う、今日この頃です。

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