田んぼの上に、空が見えなくなるくらい一杯トンボが飛んでいてた。
- tmclovemusic
- 2021年9月26日
- 読了時間: 2分
ほんとだよ。田んぼの上に、空が見えなくなるくらい一杯トンボが飛んでいてね。背伸びすれば手が届くぐらいなところに、いっっっっっっっっぱい居て。夕焼け空に綺麗だったんだよ。
見れて良かったね。
東京生まれの東京育ちな私にも、父方の田舎がある。
そこは山に囲われ田んぼと畑が村一杯に広がっている、絵に描いたような田舎だ。
私が子供の頃には、必ず夏休みの一ヶ月弱、田舎に送られ過ごすのが毎年の行事だった。
両親は共働きだったから、夏休みぐらいは田舎に子供を預けて、二人の時間をきっと大切にしていたのだろう。親戚の子供たちも集まっていたから私は寂しく無かった。
行きは親戚のお兄さんが帰省するのと同時に田舎へ向かって、帰りは、お盆前に父が帰省して来るのを待って、数日父と田舎で過ごしたあと、父と東京へ帰っていた。そして東京の家に帰った私は、毎回母に同じことを言う。
トンボの話。
父と母は、私が小学校の低学年の時に離縁していたが、学校でのいじめや私が寂しい思いをしないようにと、一緒に暮していた。離縁の理由は父方と母方で意見が違うのでよく分からないが、ともかく普通に夫婦をやっていた。
大人の事情を知らない子供の私は、母が一度も田舎に帰った事が無いと思っていた。なんとか一緒に連れて行けないかと、田舎の良さや楽しさ、経験した事を少し盛って話していたが、母は「良かったね」で済ませていた。
私は母が田舎嫌いなのだと思うようになって以来、田舎から帰って来ても、田舎の事は話さなくなった。
小学校5年が過ぎ、ちょっと反抗期が始まった頃、母が不意に話しを始めた。
それは、私が母を田舎に連れて行きたくて、話していたトンボの話。
文才が無い私には上手く伝える事が出来ないけれど、田んぼは、溝で隔てて一面一面区画に分かれている。その区画の広さに合わせて覆い被るように、沢山の赤とんぼが各田んぼの上を覆う光景は、今でも鮮明に覚えているほど、美しくて圧巻だった。この光景を母も見て知っていた。
そして私に言った。
田舎に行けなくても、毎年田舎の光景を代わりに見て教えてくれているでしょ。
その度に、今も変わらず田舎にはトンボが飛んで、豊かに田畑が実っている事を思うと、それだけで胸が一杯になるのよ。と。母は都会育ちだから田舎を知らないけれど、私が生まれる前か物心がつく前に、母は田舎へ行って、同じ光景に思いを馳せていたのだと思った私は、再び母に田舎の土産話をするようになった。

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